医者は入院を勧め、嫁はんも入院してくれという。こっちにはその気がない。嫁はんが泣き出し看護婦が外へ連れて行く。
「内科併設の病院にベッドの空きがある。」「内科なら・・・」 と渋々入院を決めた。前日は深夜まで飲む。寝る前に「もう決して飲みません!」と横文字で書いてサインした。血判を押そうとしたが、自分で切れず針で突いてもらった。嫁はんが血判に注釈を入れた。「パパの血」。何とも安っぽい。信じていなかったのだろう。 入院した日の夕方から離脱が始まる。夕食時、振戦で箸が持てない。嫁はんが 「どうしたの?」 と聞く。嫁はんには手の震えをずっと隠して来た。もう隠しようがない。 「これが離脱や!おもろいやろ?」 と解説する。スプーンで口へ運ぶがうまく運べない。 病院の横に小学校があり子供の声が聞こえた。物干し場から校庭が見渡せた。今日息子は幼稚園の演奏会で大太鼓を叩くという。外出禁止で見に行けない・・・。涙が出た。 嫁はんが、演奏会の様子をビデオに収め持って来てくれた。とぼけた顔で大太鼓を叩いている。親がこんな所にいるとも知らずに。 入院中、嫁はんと交換日記をした。言い出したのは嫁はんの方だ。 「今まで会話が少なかったから・・・。」という。 暇なので、日々の出来事を書いた。段々手の震えも収まり、まともな字が書けるようになる。嫁はんが書いていたら息子は 「僕も!」 と言ったらしく、途中から親子三人の日記に変わった。 例会に誘ってもらった。平成14年2月2日、断酒会の例会に初出席。帰りがけに司会の人が「来週も来て下さいね。」と声を掛けてくれた。 退院が近づくにつれ、本当に断酒が続けられるものか不安になった。ふと、バルセロナオリンピック、男子マラソンの谷口浩美選手を思い出した。靴が脱げて転倒したがゴールを目指し入賞。ゴール直後のインタビューでは「いや~、こけちゃいました。」である。断酒を始めてもいないのに心配しても仕方がない。たとえ転んでもすぐに立ち上がれば良い。そう考えると気が楽になった。 生涯断酒の自信はないが、例会出席は死ぬまで続ける。昼間は園芸や畑仕事に精を出し、夜は例会出席する。定年後の夢が出来た。
by enantio-excess
| 2003-06-07 00:01
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